南郷里について

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南郷里について

地域の概要

南郷里地域は旧長浜市のほぼ中央に位置し、 全てが平野部で田園風景の広がる地域です。ほぼ中央に北陸自動車道(昭和55年開通)が走り、西側は市街化区域として市街地形成が進み、東の方は市街化調整区域としてのどかな風景が広がっています。

地域面積は 6.79 k㎡ で、東西 約 2.8 km、南北 約 2.5 kmであり、地域内に21の自治会を有し、南郷里小学校、まちづくりセンターを中心に全ての自治会が 約 1.5 km円の内にあるというまとまりのある地域です。

位置

map1

上記地図は南郷里地域の略全域を示すものですが区域以外の町名も表示されています。
表示の 番号 構成自治会 の位置を示しています。

構成自治会

地域の歴史

南郷里地域には、古代、越前 (コシマエ) 塚古墳(加納町)に代表される弥生時代から古墳時代にかけての大墓地群が発見され、榎木百坊廃寺と大東廃寺の2つの古代寺院の存在も推定されることから古くから集落が形成されていたと考えられます。
また榎木荘や福能部荘などの荘園が配置され、宮司遺跡や大東遺跡など中世集落を示す遺跡も発掘されています。

近世は、南郷里地域のほとんどが彦根藩領か幕府・旗本藩領となりました。明治に入り、合併や連合の動きが活発になり、宮川村と下司村が合併して宮司村に、北小足村と北田附村が合併して新栄村が誕生しました。
その後、明治22年に町村制施行によって南郷里村が誕生しました。
南郷里という名は、当時「郷里の荘」と呼ばれていた地域南部に位置していたことから名づけられました。

南郷里地域の多くの町には「オコナイ」が受け継がれ、著名な遺跡や古墳、社寺仏閣も多く残っています。
また小堀遠州公(小堀町)を輩出、その館跡や、面打師(七条町)が活躍した頃の文化が受け継がれるなど文化的な面も多数存在します。

長浜市としての変遷は、昭和18年に長浜町・六荘村・神照村・南郷里村・北郷里村・西黒田村・神田村の1町6村が合併し、長浜市が誕生しました。
その際、旧町村が地区連合自治会として誕生し、南郷里村の区域は南郷里連合自治会として地域住民自治と地域まちづくりを担うようになりました。

その後、市としては平成18年2月13日に長浜市・浅井町・びわ町による1市2町の新長浜市が誕生し、平成22年1月1日に虎姫町・湖北町・高月町・木之本町・余呉町・西浅井町が長浜市に編入され、現在に至っています。

人口形態

南郷里地域には、世帯数約 4,000、人口約 10,000人(H25.6.1現在)が暮らしています。
高齢化率(65歳以上)は 20.2%で、全国 24.1%・滋賀県 21.6%(ともにH24.10.1現在)、長浜市 24.4%(H25.6.1現在)より若干低くなっています。全体的には高齢化率は低いものの、自治会ごとのバラつきがあります。

南郷里人口形態 および 自治会別人口表(平成25年6月1日)

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